これからは着物で生きていく

私は一人息子だったので、娘のいない母親は少々物足りなかったように思う。母親は大の着物好きで、近所の若いお嬢さんの成人式の着物など、我が家に呉服屋や反物屋を呼んでは彼女の母親と一緒になって見立ててやっていた。関係ない主婦たちもやって来ては、着物1枚を決めるのに大騒ぎだった。娘がいない代わりに、有難いことに私にも大島紬や山繭の手織りの紬で着物を仕立ててくれるようになった。最近、その山繭の着物は超貴重品で手に入らないものになっている、などという話を聞いて引っ張り出してみた。実に見事な光沢で、優しい肌触りに驚いた。

 

このところ仕事人間ではなく、コロナ禍にあっても現在を楽しく生きるという発想を見直していたが、その流れを現実化してしばらく放っていた着物ライフを楽しむことにした。手元にある何枚かを試着してみると、日常生活には実に快適であることが分かってきた。直截的に言えば、着物は身体を解放してくれるのである。社会のあらゆる制度や技術、社会的負荷などのエントロピー増大に苦渋している人間を自由にしてくれる、私の感覚では着物を着た実感である。

 

もう、ビジネススーツも、ネクタイも堅い革靴からもおさらばして、これからは着物で生きていく、大げさに言えば希望と自覚が生まれてきた。この着物感覚が、今の私には本当に嬉しく、実に楽しい。

風立ちぬ。いざ、生きめやも

(ポール・ヴァレリー)

バスチューユの

マルシェへ心は躍る